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サボテンは人の言うことが分かるんですよ

2009年卒の思い出話「リーマンショック」~第5話~

リーマンショック時代のお話の続きです。

・2009年10月①

夏も終わり、涼しくなってきた。
N社にて内定、研修終了後に自宅待機を命じられ一度は配属先を紹介してもらうが即戦力を求められる。期待に応えられず3ヶ月で契約を終了となる。

本社より当時にメールが届く。
・自宅待機中、『目標』を作りスケジュールを本社に送る
・自宅待機の勤務中、定時前と定時後に本社にメールする
と2つ連絡があった。
つまり振り出しに戻ったという事だった。

この時点で退職しようかどうか迷っていた。

残りの新卒の同期達に連絡をとることにした。同期達の情報伝達。

・新卒社員達の約9割は入社して半年たった現在でも一度も配属先を紹介されてない。
・俺と同じく時期に配属された同期も数ヵ月で契約を切られ同じ状態。
つまり現在N社の新卒で配属先で働いてる人はひとりもいなかった。
しかし一度配属して僅かだが働いて思った。
リーマンショックともいえど、ある程度会社として力がある所は普通に仕事はできていた様子だった。
中小企業は特にこの頃の時代、苦しかったのだろうと今では思う。

この頃から新卒同期達と遊ぶ機会が増える。
同じ位置にいる仲間たちとして、当時この人達は大切な存在だった。
次第に配属先で仲良くなった上司達とは疎遠になった。


退職を迷っている時、本社から連絡が届く。
「自宅待機組(つまり新卒全員)は○○日に本社にくるように」
どう考えても良い話ではない。
しかし行かない道は無い。

そして当日。
新卒社員達が緊張してるのがみんな顔に出ている。
N社上司からさっそく話があった。


N社上司「君たちが集まったのは他でもない。現状、N社では厳しい状態になっている。会社に貢献しその対価を貰うのが給料だ。だが君たちは貢献はしていない。
今後、自宅待機をしている君たちに満額の給料を払うことはできない。来月から給料を6割分の支給となる。それでも良いなら続けてくれても構わない。しかし、来年度の新卒との顔向けが正直難しくなる。早期に退職願いが出た人には多少イロをつけて処理を行う。以上だ」


実質クビ宣言だった。
新卒の社員達は言葉にできない顔をしていた。
ここで見切りをつけようと決心した瞬間だった。
だがこの言葉からして会社都合で退職させようとはせず、自主退職にさせるよう仕向けていた。
正直もうそんなことどうても良かった。
もう辞めるしか道は残っていないのは目に見えている。


続きます。