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2009年卒の思い出話「リーマンショック」~第6話~

リーマンショック時代のお話の続きです。

・2009年10月②

N社にて内定し研修終了後に自宅待機を命じられる。
一度は配属先は紹介してもらったが3ヵ月で契約終了。
そして2009年10月、N社上司から「翌月から給料を6割にする」という実質クビ宣告される。
直後に退職を願い出る人はいなかった。
上司からも「今日は月曜なので、今週いっぱいよく考えるように」と言われこの日は終了した。


この日ちょうど同期達が集まったのでファミレスで食事をすることに。
A君「これからどうしようかなぁ」
B君「6割じゃバイトしながらじゃないと生活できないよ」
C君「ウチの会社の給料が安いからなぁ」
みんなモチベーションは下がっていた。
もう既に俺自身は決心していた。

 

金曜、自宅待機での定時前の朝のメール時に
「見切りをつけて辞めさせて頂きます」を送る。
今思うと当時の俺は相当攻撃的だったというか、常識が無いと言うか…
「見切り」という書き方は尖っていたなあ…
当時21歳だった若気の至りと言う事で勘弁してください。

メール送信後「翌週火曜に常務と話をする時間を用意するから来るように」と話が来た。
火曜日に面談し、あっという間に10月いっぱいで退職が決定。

その後、同期達に連絡を送る。
配属先を1度紹介してもらった人が見切りをつけた時点でずっと自宅待機をしてる人達も流れにあわせて退職連絡をしたようだ。

新卒組と会社を辞めることが決まり、少し気が楽になった。
先のことは見えないけど、「今を楽しもう」と夜通しカラオケをしていた。
この時のことは一生忘れない思い出となった。

 

あれから10年以上経つけどこれ以降全ての会社に中途入社するので当然「同期入社」という仲間には巡り合えず、自分より年齢が近い人と仕事することが無くなった。どこか距離感がある。
当時の彼らこそ、仲間意識があって良い人たちに巡り合えたなと思った。

 

「早期に退職願いが出た場合、給料にイロをつける」と言っていた通り、最後に貰った給料はイロがついていた。
たった1万だけだったけど。


こうしてN社では2009年卒の社員をわずか半年で全員自主退職させたという伝説を残したのであった。


続きます。